Session #13: September 2nd, 2009 – lay judges 裁判員 and the jury system

A scan of the Magna Carta, signed by John of E...
Image via Wikipedia

UPDATE (2009.09.03.08:20): Thank you to everyone who participated today. Today’s session was about lay judges, a new system introduced into the Japanese courts. We read this article about it , Courting Controversy in Japan, by David Murakami Wood, in the Guardian newspaper, Wednesday August 5th, 2009. We then discussed the origins and purposes of the jury system. This involved learning something about Magna Carta. I feel very grateful to the people who made Magna Carta and forced King John to sign it. The jury system was intended to be a legal protection against the almost limitless powers of the king: Magna Carta states that the king may not punish any freeman except by the consent of his (the freeman’s) peers. The peers does not mean the peerage (the aristrocracy), but “the people”, as opposed to the king or the ruling class. It put a limit on the king’s power.

Before reading the article, I introduced a book about the financial crisis: Meltdown: A Free-Market Look at Why the Stock Market Collapsed, the Economy Tanked, and the Government Bailout Will Make Things Worse and its Japanese translation メルトダウン 金融溶解 The foreword to the book was written by US Senator Ron Paul. Ron Paul has written his own book on the subject of the Federal Reserve: End the Fed. You can read chapter 2 of this book for free on the Mises Institute website (Ludwig von Mises was one of the most important Austrian economists. Read about him in Japanese here). The libertarian website Lew Rockwell.com has announced that Ron Paul’s book “End the Fed is now #4 in non-fiction on Amazon, and #17 overall. End the Fed!

During August, our Reading Group had no meetings. But that does not mean that members were not busy. Some of them read Atlas Shrugged (some in English, some in Japanese 肩をすくめるアトラス). One member read Emma (Jane Austen‘s classic Pride and Prejudice , or in Japanese 自負と偏見, was the subject of an earlier reading course, and we read the beginning of Emma, or エマ in our first session). She also read City of Glass (in Japanese シティ・オヴ・グラス ) by Paul Auster. (Here is a website in Japanese about the story: シティ・オヴ・グラス.)

The first session after the holidays.  To make a change from reading fiction, I have chosen a newspaper article about the new system of lay judges adopted in Japanese courts this year.

The article is Courting Controversy in Japan, by David Murakami Wood, in the Guardian newspaper, Wednesday August 5th, 2009.

As well as discussing this article, we will be looking at the history of the jury system: when and why it was established.  To prepare for this, read about Magna Carta (in Japanese here), especially about rights still in force today.

UPDATE: Here is the original Latin from Magna Carta which relates to trial by jury. “Nullus liber homo capiatur, vel imprisonetur, aut disseisetur, aut utlagetur, aut exuletur, aut aliquo modo destruatur; nec super eum ibimus, nec super eum mittemus, nisi per legale judicium parium suorum, vel per legem terrae.” According to Lysander Spooner, in his “Essay on the Trial by Jury” (1852),

The most common translation of these words, at the present day, is as follows: “No freeman shall be arrested, or imprisoned, or deprived, or outlawed, or exiled, or in any manner destroyed, nor will we (the king) pass upon him, nor condemn him, unless by the judgment of his peers, or the law of the land.”

As I mentioned during the session, the “law of the land” was also called “Common Law”, and it was different from laws created by the king. In other words, the Common Law is law independent of the king. At the time (the Middle Ages), kings had to promise to protect and respect the Common Law, although many of them did not (and King John was one of the worst in this regard, and the result was the barons opposed him).

Lysander Spooner, in his essay on trial by jury, examines the exact words of the Magna Carta, and other charters of that time, and argues that the purpose of the jury was originally not only to decide guilt or innocence, but also to decide whether the law was just or not. In other words, the purpose of trial by jury is to check and limit the power of the king to do exactly whatever he wants. Spooner gives evidence that King John was extremely angry about the contents of Magna Carta and at first refused to sign it. He even appealed to the Pope, and the Pope replied with sympathy. Spooner writes that this shows that both King John and the Pope understood that the Magna Carta was taking away a very great power from the king: it was not only about deciding guilt or innocence, but it gave the jury the power to express their judgment of the law itself. Obviously, if only the king can make laws but if the jury can decide whether the law is fair or not and refuse to punish anyone who is accused under an unfair law, then this gives the people a very great protection against the abuse of power that any king might make. It is protection for the people against the king, or government, or state.

This history lesson teaches us much about the purpose and meaning of trial by jury, and also throws some light onto the lay-judge system created in Japan recently.

I will also bring an article about the recent elections, to show the point of view from the British media.

UPDATE: In fact, we did not have time to discuss this.  I have a list of links to articles in the British press about the election at my other blog Searching for Accurate Maps. A Japanese comedy troupe called The Newspaper has created a comedy skit showing Hatoyama choosing his new cabinet ministers. Watch the video here.

TOKYO - AUGUST 11:  Yukio Hatoyama, President ...
Image by Getty Images via Daylife
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10 thoughts on “Session #13: September 2nd, 2009 – lay judges 裁判員 and the jury system”

  1. 17世紀から20世紀の著名な英米文学および時事問題、関連性のある歴史(マルクス資本論やマグナカルタ等)を学ぶ事が出来、久し振りに学生時代に戻っ
    たような楽しさを(理解出来ないときは苦痛も伴いますが)実感した次第です。私は、毎日、テレビや新聞での情報で、政治、経済、司法の問題はややこし
    く、わかりずらい事が多いので (ただ政権交代や、マニフェストの実効性を見るのは下手な映画を見るより興味深いものがあります。)いつもあとまわしに
    なりますが、これからはこれらの問題にも積極的にとりくんでいかなければ 時代に取り残される恐れがあります。 ーそれらをさらに英語で勉強、ーああ大
    変ー  でもたくさん知識を得て「人が味わうべき」情感や知恵を豊かにしていきたいなと思っています。
    いつもメンバーの興味や難易度を考慮し、教材を準備して下さって有り難うございます。今後ともRGよろしくお願いいたします。

  2. セッションに参加して裁判員制度についての詳細な知識を得る事が出来て、5月から実施されている現実の裁判についての報道に注意深く耳を傾ける様になり、社会との繋がりを実感しています。そして、この制度は国民一人一人に色々なケースで罪の重さだけでなく、人生そのものを考えさせる良い制度になってきつつあると思っています。クラスの勉強は内容も英語もかなりレベルが高く、私にとって容易では有りませんが充実した時間として楽しんでいきたいと思っています。

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  3. セッションに参加して裁判員制度についての詳細な知識を得る事が出来て、5月から実施されている現実の裁判についての報道に注意深く耳を傾ける様になり、社会との繋がりを実感しています。そして、この制度は国民一人一人に色々なケースで罪の重さだけでなく、人生そのものを考えさせる良い制度になってきつつあると思っています。クラスの勉強は内容も英語もかなりレベルが高く、私にとって容易では有りませんが充実した時間として楽しんでいきたいと思っています。

  4. 新裁判員制度がきまっても、余り身近に感じなかったのですが、このクラスで取り上げられて以後なされた裁判には、やはり注目してしまいます。この間の2件の執行猶予のつくような判決(私も同情します)なら、理解しますが、殺人の刑の決定なんて私にできるのかしらと、気が重くなります。法律にうとい私でも、このように少し真面目に考えてしまうのだから、やはりこの裁判の目的である司法の理解と信頼、又民主的な正統性が与えられるという意味においては、国民の参加と裁判をオープンにする事が、よい事なのでしょう。

    英語は難しいですが、これまで紹介して下さったいくつかの本から人間社会について、学んだり気付いたりする事ができました。これからも、何が、真実なのか、自分にとって正しい事は、何なのか等もっと知りたいと思います。

  5. 感想述べさせていただきます。
    このセッションに参加するようになって、今まで興味持たなかった本や社会的な制度に積極的に
    興味が持てるようになりました。先日の裁判員制度も身近に起こりうる我々の義務として、大いに
    知識欲が湧いた次第です。裁判に関わるなんて今までは考えたことも無かった私ですが、もし選ばれた
    時には、責任を果たしたいと思ってますが、責任と正しい判断力の元に関われるか、やはりその時に
    なるまで分かりません。英語を学ぶ上でいろいろな知識を要求されるこのセッション、歴史や政治その他
    多岐に渡って勉強しなくてはと思っている次第です。

  6.  このセッションに参加して興味の輪がぐんと広がりました。裁判員制度についても、戦前に似通った制度があったことを全く知らなかったし、新しい制度について詳しく知ろうともしなかった。考えると恥ずかしいことです。民主主義についてあえて考えたこともなく、アイン・ランドの名を目にしても通り過ぎていました。  これらを英語で勉強することは私にとって常にとても難しいけれど、同時に喜びでもあるのでマイペースで楽しんでいます。これからもこのセッションが沢山のチャンスを与えてくれるよう期待します。

  7. 今国民の間で大きな関心を持たれている裁判員制度について勉強できて大変うれしい。
    何となく解っているような、でもはっきり理解していないことが解ったりして色々な資料を提供して
    戴いて感謝しています(でも英語でのリーデングは辞書とにらみっこ!私にとってはハードワーク!
    でしたが 良い勉強になりました)。
    時々はこういったタイトルの時事問題もしていただけたらうれしいです。

    日本の戦前の陪審員制度(A)と今回の裁判員制度(B)の違いを調べてみました。

    資格  (A)直接国税3円以上を納める日本国民の男子から無作為抽選で選ばれる。(12人)
        (B)性別、収入等に基づく資格要件は当然ありません。(6人)
    対象事件(A)被告人が否認している重罪事件、陪審員は有罪、無罪の結論を出し裁判官に対し
           答申しますが裁判官は法律上これに拘束されず答申を採用せず心理のやり直しを
           命じることが出来た。
           
        (B)否認しているかどうかを問わず一定の重大な刑事事件:殺人、強盗致死罪、傷害致死
           危険運転致死、現住建物放火、身代金誘拐、保護者責任者遺棄致死など。
           さらに、裁判員と裁判官の立場は対等ですから裁判官が裁判員の判断を一方的に拒否
           して審理のやり直しを命じることは出来ません。
    被告人は(A)陪審員による裁判か裁判官による裁判かを選択することができたが陪審法の下では
           被告人は有罪判決をうけてもこれに対し控訴できない、又有罪判決の場合控訴費用や
           高額に上がる陪審費用(陪審呼び出しの費用や日当、宿泊料など)を負担するリスク
           もあり又 陪審裁判の選択は審理前に担当裁判官への不信を表明することを意味する。
           陪審の判断は裁判官にとって参考意見に過ぎず最終決定は担当裁判官が行ったので
           被告人側にとっては裁判官の悪印象を避けたいとの心理的抵抗があったとも言われてる。
        (B)裁判員裁判か裁判官による裁判かを選択できない。 
      

  8. クラスで思いがけないことを習ったり、知ったりした後は、思う以上に充実感があるのは確かです。現実の中にクラスで得たものが、「ああ、この事なんだ。」とか、「そうか、こういう風に考えればいいんだ」とわかる事もたくさんあります。裁判員制度(陪審員制度との折中?)も、実は一般市民に与えられる権利。突然のその権利に戸惑い享受できないのは惜しい事なんですね・・・まあ それに付随する義務も大変みたいですが。 どんな教材であったとしても、得るものはたくさんあります。疲れるけど楽しい!

  9. 2日の教材はノンフィクションで裁判員制度についてでしたが、日本の裁判員制度だけでなく英・米の陪審員制度の由来、その元になったマグナ・カルタについてなど多岐にわたる知識が得られました。知的に物知りになるってうれしいことですよね。ジャンルを特定せずに時事問題、科学論文など多岐にわたって読んでいきたいです。

    それまでの英・米の文学作品からの抜粋では、さまざまな文学の技巧を学び、読書を楽しむだけでなく、ちがった価値観や文化への理解が深まります。個人的にもっと読んでみたい作家(Philip PullmanやKazuo Ishiguro)もできました。

    中でもここで紹介されなければ読んでいなかっただろうと思われるアイン・ランドは、人間が真に自由に生きるとはどういうことか、をドラマティックに描いています。「肩をすくめるアトラス」では、ファシズム的国家になりつつある近未来のアメリカで、才能と努力のビジネスリーダーたちの仕事が、政治家達がよく考えずに「非常事態」とか「国民の利益のために」とかいう名目で次から次へと作られる法律のために、どんどんハードになっていきます。日本の状況に目を移すと、景気が悪くなるにつれ、ますます政府が経済活動に介入し、長期展望のない法律で同じようなことがおこっているなと感じられる点もあります。ただ、国民も政府が何かをしてくれると期待しているところもあるかもしれませんが、自由競争が基盤の資本主義社会がいかに健全であるかに気づかされるものです。

  10. リーディングクラスは、アカデミー色が濃くて確かに容易ではないけれど、考えるヒントが沢山もらえます。今日の裁判員制度もマグナカルタを視野に入れるなど、一見わたしたちには関係なさそうですが、実際 裁判員に選ばれて大変な思いをしている人が多い中、少しでもその意義を見つけることに繋がるように思います。

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